「韓国なんて要らない」なぜいけない?

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私にはよく分からんのですよ。

”けしかる”か”けしからない”のかを判断するのは読者であって、あなたたちではないでしょうと。

まあ100歩譲って、作者が一市民の立場として批判するのが許されるとしよう。しかし、ひとつの雑誌でこういう特集が組まれたからといって、もうこの会社とは仕事しない、とかって明らかに脅しじゃない?

これはこれでひとつの暴力ではないのか?

 

自分の気に入らないことは差別だ、ヘイトだと騒ぎ、一方、自分が支持していることが妨げられると表現の自由に対する冒とくだという。

それって普通にダブルスタンダードというのでは?

まあ、私は右翼であろうと左翼であろうと、人の活動をやたらと非難したり、妨害したりするくせに、自分の活動に少しでも批判があればギャーギャー騒ぐような人はあまり信用しない。

 

上記リンク先記事の関連で言えば、韓国に対する非難は、第二次世界大戦前の言論統制の雰囲気に似ていて危険だ、という論をよく目にする。

正直、どこが?という気がする。

アベ辞めろ、でもなんでもいいが、みんな自由に発言しているではないか。政権を批判して中国の様に牢屋に入れられたというなら話は別だが、わが国の首相に対して全く敬意のかけらも感じられない人格攻撃といってもいいような報道も、多数目に入る。

一体どこに大戦前の空気があるというのか。

逆にそういってレッテルを貼って、自分自身が自由に発言出来ない空気を醸し出しているのではないか?

 

確かに非寛容な空気が流れているのは認める。ただその場合、その非寛容はもっぱら相手側だけにあるのですか?と問いたい。そういった自問自答なしにお互いが歩み寄れることは絶対にない。